The traveller in Dreams

うたいびとのささやき

導かれるままに

大学に入って、高校時代できなかった「ベースやるぞ!」ってサークル見学。

なにかに背中を引っ張っぱられてる感じがして、

入ったサークルが、想定してなかったメタルを中心としたサークルだった。

(最初に入りたかったのは、みっちーがいたサークル、2回いったが誰もいなかった)

 

メタルの他は最先端いってた

(時代が追いつくのに1~2年かかってたもんなぁ)

結局ベースがしっくりこなくて

ドラムを選択した(おいおい、メタルでドラムって。)

 

いやー3年間はきつかったなぁ

みそっかすって言われたり、

サークルノートには、「〇ね」って書かれまくったし、

ドラムが叩ける同期にはマウントとられ続けられて

何度サークル辞めようかと(別に音楽は外でもできるし)

でも逃げたら音楽長く続けられないって

 

悩んでいたとき、ある先輩から

「どうだい、調子は? そうか

明日のミーティングで待っているから」

って電話があった。

そんなことがあったので、もう少し続けようと

 

でミーティングに行ったら、その先輩はいなかった

「わりぃ、わりぃ、寝坊した」

(ああ、このサークルに骨をうずめるんだな、オレ。)

 

運営っだり、各サークル全体の会議だったり、

音楽以外の雑用はほぼ回ってきた。

 

PAなんかも回ってきて、

「なんなの!モニターの音も(要求とは)違うし」

って非難されたっけ(周波数と音の関係いまだにわからないし)

 

PAのマニュアル作れって、振られて

アンプまでの電気信号の流れとそれぞれに使うケーブル。

ミキサーの電気信号の流れ(ベースなんかDIかまさないとミキサー死ぬし)

までは作った。(イコライザーの調整は周波数がわからん。)

 

で肝心の演奏は

ワンバスの方が好きだったのにツインペダル買って

うまく踏めなかった。

背筋がないと体が縦に揺れて

ペダルとの距離がマチマチになる(もちろんタムと距離も)

(中高で体作った人なんか、すぐ叩けてたもんなぁ)

ベードラの16符の粒が揃うのに3年かかった。

(まぁいい勉強になった、ハイハットワークだって背筋必要だし)

 

その頃は辞める人がポツリポツリと出てきて

結局4人とOB2人になった。(先輩方には感謝しかないけど)

 

大きな看板出すのに1人じゃ出せなくて

学科の友達がみかねて手伝ってくれたもんな。

 

そして、ポツリポツリと人が増えてきた。

「人は財産」そんな言葉がでてきた。

 

自分が体験した

こんな思いは後輩達には味わってほしくなぁ

って思ったり

 

そんな中、違うサークルの

彼に(見つけた!って顔で)声かけられたなぁ

ドラムの手数の多いコピーバンド

(そんなのもちろんOKでしょ)

 

サークル活動はきつかったけど良い勉強になった。

自分の糧、財産になった。

 

 

でも最後の最後にやらかした。

喧嘩して麻雀卓へ吹っ飛び、

ゴミ箱の角でざっくり、

頭から大量に流血。

 

救急車、警察にお世話になり、

そして卒業式にもでれなかった。

 

午後、ちょっとは動けたので

現場にいったら、

みんなから愛されていたベーシストから

「知ってる?なんかここで流血事件あったみたいだよ。」

「それ俺。」

「えーーーーーー」

 

血が足りなかったので

食べては寝、食べては寝。

 

復活したら、

学生部に反省文(警察呼んだから)

 

(大学で)何を学んできたのだろう。

一番大切なのは「人間関係」なのに。

 

 

え?就職は? いちおう大学院。

 

大学院の試験で

遅刻して、控室ではみんなスーツ。

(うーむ、スーツ取りに行く時間ないし、私服で受けるか。)

で何故か受かった。なんでだろ?

 

神様は苦難を乗り越えたらご褒美くれるんだな。